都会の喧騒を離れ、緑豊かな山村での生活を始めた私を待っていたのは、想像以上に過酷で、そして深い学びに満ちた「汲み取り式トイレ」との日々でした。内見の時に見たそのトイレは、綺麗に掃除されており、どこか懐かしい雰囲気さえ漂っていましたが、実際に生活の一部として向き合うことになると、それは単なる設備以上の存在感を放ち始めました。最初の夏、私は汲み取り式の洗礼を受けました。気温が上がるにつれ、どこからともなく立ち上るあの独特の臭気、そして、どんなに隙間を塞いでも現れる小さな羽虫たち。水洗トイレが当たり前の環境で育った私にとって、それは生理的な拒絶反応を引き起こすに十分な衝撃でした。しかし、この家を愛し、この土地で生きていくと決めた以上、逃げるわけにはいきませんでした。私は近所の古老に教えを請い、汲み取り式トイレとの正しい付き合い方を一から学びました。まず教わったのは、トイレは「流す場所」ではなく「育てる場所」だということでした。毎週決まった曜日に微生物の粉末を撒き、便槽の中の状態を観察する。水分が多すぎれば調整し、少なすぎれば少しだけ水を足す。まるで生き物を飼育するかのような手間をかけることで、少しずつ、しかし確実に臭いは消えていきました。また、バキュームカーを呼ぶタイミングも重要です。便槽が満杯になる前に、地域の汲み取り業者さんと連絡を取り、スケジュールを合わせる。そのやり取りの中で、自分の排泄物が地域のインフラによって支えられ、処理されているという実感が湧いてきました。都会では、ボタンを押せばすべてが「なかったこと」になりますが、ここでは自分の出したものに責任を持たなければなりません。冬になれば、凍てつくような冷気の中で用を足すことになりますが、その寒ささえも、季節の移ろいを肌で感じる貴重な体験となりました。今では、汲み取り式トイレは私にとって、自分と自然の境界線を確認する大切な場所になっています。不便さは確かにある。しかし、その不便さと向き合い、工夫を凝らす過程で得られる「生活の手応え」は、何物にも代えがたいものです。水を大量に使わず、自然の摂理に身を任せるこの仕組みは、究極に贅沢で、誇り高い生き方の象徴のようにさえ思えるのです。
移住先で直面した汲み取り式トイレとの共生体験記